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会長挨拶

十日町市中魚沼郡医師会 会長 上村 斉

十日町市中魚沼郡医師会
会長  上村 斉

会長就任のご挨拶

 この度、令和4年6月より十日町市中魚沼郡医師会会長に就任いたしました上村 斉です。
 当医師会は魚沼医療圏の信濃川筋に位置する妻有地域、十日町市49,750人、津南町8,985人(令和4年3月末日現在)の医療・保健・福祉に関わる仕事に携わっております。
 昭和22年に社団法人中魚沼郡医師会(会員38名)として発足し、平成25年より一般社団法人十日町市中魚沼郡医師会(会員数は45名)となりました。現在当地域には3つの病院を含む25の医療機関があります。近年、医師や看護師不足から病院の閉鎖や病床の休止が相次ぎましたが、十日町駅周辺に若いドクターが開業しています。
 また、平成26年に改築工事が開始された地域中核病院の新潟県立十日町病院は、平成28年5月に「新外来診療棟」、令和2年9月「新病棟」が竣工し、長年の市民の悲願が達成されました。
 さらには、令和2年4月その隣接地に「十日町市医療福祉総合センター」がオープンしました。「市民が住み慣れた地域で安心して暮らすことができる地域医療・福祉の連携拠点」をコンセプトとする複合施設で、1階は「十日町市休日一次救急診療センター」と講堂、2階は医師会、介護、福祉関係、行政の拠点事務所が一堂に会し、連携の拠点となっています。3階には「新潟県立十日町看護専門学校」が開校し、看護師の養成を始めました。これに先立ち、令和元年11月に「十日町いきいきエイジング講座」が新潟大学の協力のもと、センター内に配置され、精力的に活動していただいております。令和3年7月には、十日町市立訪問看護ステーション「おむすび」が開設しさらなる拠点化を進めています。
 令和元年12月中国武漢で発生した新型コロナウイルスにより、我々の暮らしは一変しました。感染対策のため、病院・診療所の受診制限や面会禁止は、みなさまに多大なるご迷惑をお掛けしています。いまだ収束には至らず憂いております。
 医師会は、令和2年11月開設した市の地域外来検査センターに協力しPCR検査を実施しています。このような状況で、いろいろと制約はありますが、当医師会は皆様の安心、安全を確保する医療を提供するために、日々活動しています。
 内容は、健診、各種予防接種や休日救急診療、学校医、産業医、研修医の教育など多岐にわたっています。平成28年度から十日町市と津南町の在宅医療・介護連携推進事業の業務を受託し、「つまり医療介護連携センター」を立ち上げ、医療と介護福祉の連携推進をすすめています。
 変わってゆく妻有地域の地域包括ケア構築の役割を果たすべく、皆さまと行政と一体となって努力しております。今後も、十日町市中魚沼郡医師会を宜しくお願い致します。
 尚、ご不明な点やご質問、ご要望などございましたら、遠慮なくお問い合わせください。


沿革

1947(昭和22年) 11月1日 県認可のもと、社団法人中魚沼郡医師会として発足(会員数38名)。
会長 鈴木 智(新潟県立十日町病院)副会長 勝又 武夫(勝又病院)
1949(昭和24年) 会長 鈴木 智(新潟県立十日町病院)
副会長 丸山 良八(丸山医院)
日本医療団十日町病院が県立十日町病院として開設(創立:昭和19年)
倉俣診療所開設
1950(昭和25年) 上村病院が財団法人上村病院として開設(創立:昭和13年)
1951(昭和26年) 池田医院開設
1952(昭和27年) 会長 鈴木 智(新潟県立十日町病院)
副会長 丸山 良八(丸山医院)
組織変更により橘病院が厚生連橘病院として開設(創立:昭和9年)
組織変更により中条病院が厚生連中条病院として開設(創立:昭和13年)
1954(昭和29年) 会長 丸山 良八(昭和29年9月死去)
副会長 森田 敏夫(森田医院)
十日町市誕生(十日町、中条村、川治村、六箇村が合併し市政施行)。
合併に伴い「社団法人十日町市中魚沼郡医師会」と改称
9月 会長 森田 敏夫(森田医院)
副会長 山口 亮松(山口医院(十日町))
山口医院(下条)開設
1956(昭和31年) 会長 三谷 実代松(三谷医院)
副会長 山口 亮松(山口医院(十日町))
川西町誕生(千手町、上野町、橘村、仙田村合併)
橘病院が川西町国保直営診療所となる
水沢村・中里村の国保貝野直営診療所組合設立
1957(昭和32年) 小・中学校嘱託医制に協力
大島医院開設
1958(昭和33年) 会長 三谷 実代松(三谷医院) 副会長 登坂 清(登坂眼科医院)
至誠堂医院開設
富田医院開設
桂味医院開設
田中外科医院開設
1959(昭和34年) 予防接種事業・乳幼児健康診査制度設立に協力
1962(昭和37年) 会長 三谷 実代松(三谷医院) 副会長 登坂 清(登坂眼科医院)
県立十日町病院附属准看護学院が当医師会運営となる
1963(昭和38年) 会長 三谷 実代松(三谷医院) 副会長 登坂 清(登坂眼科医院)
11月 川崎医院閉院
津南郷立大割野病院が町立津南病院として開設(創立:昭和16年)
1965(昭和40年) 会長 三谷 実代松(昭和41年7月死去)
副会長 登坂 清(昭和41年5月死去)
県立十日町病院附属准看護学院が県病院局運営となる
産業医講習会始まる
1966(昭和41年) 会長 登坂 行雄(至誠堂医院)
副会長 山口 誠士(山口医院(下条))
県立十日町病院が救急病院告示
厚生連中条病院が救急病院告示
1967(昭和42年) 魚沼地域胃集検診協議会の設立に協力
厚生連中条病院が精神科開設
1968(昭和43年) 会長 池田 定夫(池田医院) 副会長 富田 三郎(富田医院)
1969(昭和44年) 二市三郡医師会連絡協議会発足
1970(昭和45年) 会長 庭野 九一(庭野医院) 副会長 大島 義隆(大島医院)
1972(昭和47年) 会長 登坂 行雄(至誠堂医院) 副会長 金子 典(金子医院)
休日在宅当番医療事業に協力
1973(昭和48年) 会長 高木 四郎(高木医院(外丸))
副会長 富田 三郎(富田医院)
財団法人上村病院が救急病院告示
1975(昭和50年) 会長 高木 四郎(高木医院(外丸))
副会長 富田 三郎(富田医院)
1977(昭和52年) 会長 富田 三郎(富田医院)
副会長 山口 誠士(山口医院(下条))
1979(昭和54年) 会長 富田 三郎(富田医院)
副会長 山口 誠士(山口医院(下条))
1981(昭和56年) 会長 山口 誠士(山口医院(下条)) 副会長 林 偉賢(桂味医院)
1983(昭和58年) 会長 林 偉賢(桂味医院) 副会長 登坂 健二郎(登坂眼科医院)
事務所移転(十日町市千歳町3丁目3番 十日町保健センター3階へ)
1984(昭和59年) 肺がん検討委員会の設立に協力
小千谷総合病院附属十日町診療所開設(人口透析開始)
1986(昭和61年) 会長 登坂 健二郎(登坂眼科医院) 副会長 大島 義隆(大島医院)
会報「千歳台」創刊
県立十日町病院附属准看護学院閉院
新潟県労働衛生医学協会付属十日町検診センター開設
1987(昭和62年) 会報千歳台を「つまりぽーと」に改称
古藤医院開設
大坪医院開設
庭野医院開設
1988(昭和63年) 会長 大島 義隆(大島医院)
副会長 山口 昭士(山口医院(十日町))
1989(平成元年) 会長 登坂 健二郎(登坂眼科医院)
副会長 大島 義隆(大島医院)
1月7日 昭和天皇崩御。年号が平成となる
1990(平成2年) 会長 山口 昭士(山口医院(十日町))
副会長 川崎 信夫(川西町国保診療所)
老人保健施設「レインボーヴィラ清津」開設(財団法人上村病院併設)
長山医院開設
十日町市新水へき地診療所閉院
1991(平成3年) 大熊内科医院開設
1992(平成4年) 会長 山口 昭士(山口医院(十日町))
副会長 上村 晃一(上村病院)
県立十日町病院がへき地中核病院に指定、巡回診療開始
1993〈平成5年) 川西町国民健康保険診療所新築移転
中条病院下条診療所閉院
1994(平成6年) 会長 上村 晃一(上村病院) 副会長 池田 透(池田医院)
田中外科医院閉院
丸山医院閉院
1996(平成8年) 会長 古藤 恭生(古藤医院)
副会長 中山 康夫(厚生連 中条病院)
5月21日 十日町広域圏地域産業保健センター設立
センター長:古藤 恭生 コーディネーター:佐藤 英一
田中外科医院再開
川西町仙田出張診療所閉院
1997(平成9年) 会長 藤巻 定則(藤巻第二医院) 副会長 庭野 行雄(庭野医院)
創立50周年記念にあたり記念誌発刊
2000(平成12年) 会長 庭野 行雄(庭野医院)
副会長 山口 孝太郎(山口医院(下条))
介護保険スタート(担当理事 上村 晃一)
2002(平成14年) 会長 山口 孝太郎(山口医院(下条))
副会長 大熊 達義(大熊内科医院)
2003(平成15年) 2月 ホームページ開設(広報担当理事 高橋 修一)
2004(平成16年) 会長 大熊 達義(大熊内科医院)
副会長 高橋 修一(本町クリニック)
10月23日 午後5時56分「新潟県中越地震」発生
(十日町市・津南町で最大震度6強を観測)
2005(平成17年) 4月 市町村合併に伴い「十日町地域産業保健センター」に名称変更
2006(平成18年) 会長 高橋 修一(本町クリニック)
副会長 田中 陽一(田中外科医院)
事務所移転(十日町市本町2丁目 十日町市役所 本町分庁舎2階へ)
7月 あべ小児科クリニック開院
2007(平成19年) 3月 「新潟中越地震 震災の記録」発刊
2008(平成20年) 会長 田中 陽一(田中外科医院) 副会長 富田 浩(富田医院)
藤巻第二医院閉院
2010(平成22年) 会長 池田 透(池田医院) 副会長 富田 浩(富田医院)
おおふち眼科法人化
4月 十日町地域産業保健センターは新潟県医師会の傘下に入り「新潟県医師会十日町地域産業保健センター」と名称変更
新潟県における地域医療再生計画に基づき東京慈恵会医科大学付属病院並びに独立行政法人国立病院機構東京医療センターより臨床研修2年生の地域医療研修の受入開始
2011(平成23年) 12月 あべ小児科クリニック閉院
2012(平成24年) 会長 富田 浩(富田医院)
副会長 池田 透(池田医院) 山口 義文(山口医院)
財団法人上村病院から「一般財団法人上村病院」へ名称変更
9月 登坂眼科医院閉院
2013(平成25年) 4月 法人改革制度により「一般社団法人十日町市中魚沼郡医師会」と名称変更
4月 休日救急医療センター(国保川西診療所にて)開設。従来の在宅当番医制と併用してスタート
6月 一般社団法人へ移行のため役員改選。
会長 富田 浩(富田医院)
副会長 池田 透(池田医院) 山口 義文(山口医院)
理事 河野 充夫(県立十日町病院) 登坂 尚志(国保松之山診療所)
   上村 斉(上村病院) 関 真人(せき整形外科)
   浅田 一幸(あさだ皮フ科)
監事 小林 次雄(小林内科医院) 林 裕作(町立津南病院)
新潟県立十日町病院改築事業が平成25年度着工及び平成27年度部分開院を目指し工事開始
2014(平成26年) 4月 十日町地域産業保健センターは、県医師会から独立行政法人 労働者健康安全機構 新潟産業保健支援センターが管理することとなる
2015(平成27年) 2月 十日町市国民健康保険室野診療所、十日町市国民健康保険倉俣診療所 休院
3月 新潟県における地域医療再生計画に基づく地域医療研修事業の終了。
引き続き、4月より十日町市からの補助金を受け臨床研修医の地域医療研修の受入れを継続。
2016(平成28年) 4月 新潟県と十日町市の委託を受け「つまり医療介護連携センター」(センター長 山口義文)を設立
医療と介護の情報共有システム「つまりケアネット」稼働開始
町立津南病院 訪問診療、訪問看護ステーション開設・地域連携室開設・療養病床52床の休床
厚生連中条第二病院は、中条病院と統合
6月 会長 富田浩(富田医院)
副会長 山口義文(山口医院) 田中陽一(田中外科医院)
2017(平成29年) 1月 介護老人保健施設きたはら 100床から80床に縮小
11月 厚生連は「中条第二病院の新築再延伸・歯科外来の廃止、介護老人保健施設きたはらの経営譲渡または閉鎖」を発表
2018(平成30年) 3月 医療法人社団 小林内科医院 閉院
4月1日 一般財団法人上村病院を解散し、社会福祉法人清津福祉会「上村診療所」として開設
4月 医療法人社団 大渕内科クリニック 開院(小林内科医院を継承)
10月 メディカルフォレスト十日町中央クリニック 開院
2019(平成31年) 3月 厚生連中条第二病院の廃止・介護老人保健施設きたはら閉鎖
3月 医療法人社団 大島医院 閉院
4月 新潟県厚生農業協同組合連合会は中条第二病院を総称名:中条メンタルケアセンターとして「メンタルケア中条(精神・内科)」「十日町訪問看護ステーションポピー」「共同生活援助事業リンクinひだまり」の三部門へ機能見直した。
  (令和元年) 5月 皇太子さまが新天皇として即位されるのに伴い、新たな元号「令和」が施行された。
6月 役員改選
会長 山口 義文(山口医院)
副会長 上村 斉(上村診療所) 富田 浩(富田医院)
7月 町立津南病院 地域包括ケア病床(10床)を開設した。
2020(令和2年) 3月 休日在宅当番医療事業の終了。
4月 休日救急医療センターを国保川西診療所から十日町市医療福祉総合センターへ移転した。
9月 新潟県立十日町病院病棟完成
2022(令和4年) 6月 役員改選
会長 上村 斉(上村診療所)
副会長 浅田 一幸(あさだ皮フ科) 山口 義文(山口医院)
        
2023(令和5年) 11月 村岡整形外科クリニック 開院

定款


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